デザイン批評について

このデザイン直したいけど直せない

後輩がチラシやパンフレットを作っている(デザイナーに指示出ししている、ディレクターの位置)なのだが、練りに練って出てくるアイデアが斜め上でそれを頑張って修正しようとしても頑固で聞いてくれない。ので、何が悪いのか、どうやったら聞いてくれるのか、ていうか自分も見当違いなことを指摘している可能性もあるのでデザインについてちょっと勉強しようと思った。

デザインの勉強というと2パターンあると思ってて、いわゆるビジュアルデザイナー視点で「どう見せれば伝わるのか」というのと、ディレクター視点で「何を見せれば伝わるのか」というのの2パターン。「見せ方」と「見せる物」。ディレクターはどちらもわかっていないといけない。「見せ方」については既にデザイナーはいるので、「見せる物」についてちょっと勉強したいかな~という感じ。

デザインの批評は難しい。「えっここ目立ってなくない?」だけじゃだめなのはなんとなくわかった。「これだと視点がこう動いちゃうから、ここが細字だと見過ごしちゃうよね。目立つように太字にするとか白抜きにするとか、もしくは、視点の動線を変えるためにこことここを入れ替えるとか」みたいな感じで言う。

しかしこれ、多分言われてる方は「押し付けがましい」「てか結局どうすりゃいいんだよ」と感じる。わかる。「見せ方」を勉強しているデザイナーであれば、おそらく理解して自分で吟味した後に修正ができる。しかしデザイナーに指示出しするだけのディレクター側が上記のような批評を受けると、経験の浅いディレクターは(経験が浅い内にディレクターやるなよという感じだが)混乱する。自分が作ったものを批判されて、怒る。話聞いてくれなくなる。

なので怒らせずに建設的なやり取りを進めたい。怒らせなかったら建設的なやり取りできるんじゃね?これもう…「見せる物」どうこうではなく、「コミュニケーションのとり方」が重要じゃないか?

指示するコミュニケーションの難しさ

正直言って後輩に指示出しするとき「いやなんでこんなこともわかんねーんだよ」「普通に考えたらわかんだろ」という自分の内なる気持ちが態度に出ていると思う。反省。もしかしてこれがすべての元凶なのかもしれない。

一応同意を求めつつ、たまに褒めつつ、話を進めている…と自分では思っているけど、「いや自分はこう思ってこうしてるんで」と後輩に言われ、普通にキョトン顔で「でもこういう理由でこっちの方が良くない?」とか言ってしまうものだから後輩は「…」~終~ である。

先輩に指示されると後輩はしっぽ振って指示を聞くので、なんかもうこれデザインどうこうとかじゃなくて信頼度の問題じゃんね。ここまで書いてよくわかりました。

すれ違う俺ら

後輩は一応デザインと名の付く分野を勉強してきていて、デザインクソ素人の私の言うことをそもそも聞く気がないんだろうなと思う。しかしクソ素人だからといっても一応デザイナーもディレクターもしていたこともあるので的外れのことばかり言っているとは限らない。(と思う。)

おそらく受け手側はどんな意見も一度受け入れて、「果たしてそうなのか」と自分の中で考えて、自分なりの結論が出なかったらその意見をもう一度掘り下げて聞くとかそういう…なんかそういう建設的な話し合いをしないと…いいものは作れないんじゃないか。やっぱコミュニケーション不足っすね。

献血に初めて行った

献血に行くまで

行きたい行きたいと思いながら行ったことがなかった。

中学生位からずっと貧血で、社会人になってようやく十分な食料を自分で考えて確保できるようになり、そして鉄分サプリの恩恵ももらい、ようやくヘモグロビン濃度も安定してきた。それでもやっぱり自分の血を作ることに精一杯なのに誰かのために血を抜くなんて…と思っていた。

しかし先日の台風被害での献血の血液不足や、輸血をしたらそれ以降は二度と献血ができないことを知って、献血はまさに今、健康な内にしか行けないのだ…と思って日曜の午前中に行くことに決めた。

実は前々から興味はあった。私は元なんちゃってメンヘラで、メンヘラで献血によく行く人のブログを見ていた。その人は自分の腕を切りながらも、献血に通い自分の血が抜かれる様をうっとりと眺め、献血後にお菓子や飲み物を嬉々としてもらっていた。世の中に絶望している彼女が、献血で本意はわからないが他者のための行動をとっている姿になんだかよくわからない気持ちを抱いた。ちなみに彼女は十数年前位にほぼ自殺同然の死因で亡くなっている。だから、献血をすることでどんな気持ちになるのか、ずっと気になっていた。でも当時はど田舎に住んでおり、バスで2時間以上移動しないと献血ルームは無く、献血に行くなんて選択肢は私の中に存在しなかった。

献血当日

近くの駐車場に車を停めて、ビルの5Fへエレベーターで向かう。ここの献血ルームは最近リノベーションして綺麗になったのは知っていた。

確かに、あたたかみを感じる木材が各所に使われ、ゆとりもあり、綺麗で落ち着く空間であることは一歩中に入った瞬間わかった。入り口には乃木坂ちゃんのサイン入り等身大パネル!え~乃木坂ちゃん献血ルームの数だけサインしたん?お疲れ様や~ん!

受付~問診

とりあえず受付で初めての旨を伝える。駐車券もこのとき渡した。初めてということで全血の200mlか400mlを聞かれ、体重制限のため200mlと伝えて、基本情報をちゃちゃっと記入し提出。飲み物飲んで待っててくださいね~と言われたので、無料のカップ自販機でカフェオレをもらってアルフォート(最高か?)ももらって着席。

献血ルーム内は、色んな所に雑誌や漫画があり、また、大きな液晶TV、キッズルームもあった。しかしわざわざ子供連れで献血ルーム来る人いるんやろか。とはいえどんな人が献血に来るのか全くイメージできなかったけど、おじさんが多かったかな?20代女性は見当たらず。20代男性はいた。初めてっぽい人や、親子で来ているっぽい人も。

その後すぐに呼ばれて今度はipadで問診票をチェック。初めての人用のネームタグ(具合が悪くなったらしゃがめと書かれていた)を付けて、血圧計で血圧を測り(めんどくさくて服めくらずに測ったら低かったのでヤバ…と思い服をめくってからもっかい測った)、血圧が書かれた紙を提出しつつお医者さんの簡単な問診を受けた。なんか額に軽く近づけるだけのハイテクな体温計で体温を測られた。旧人類で申し訳ないけどどういう技術????って思って「おお~?(笑)」って言ってしまったよね。

仮採血からの本番採血

その後、中待合室的なところで一瞬待ったあとに、血液成分を確認するための採血。看護師さんに「腕…冷たいですね…」と言われてとにかくカイロを持たされ、腕にもカイロを巻かれた。「じゃ~右腕から後で血を抜くので、今は左腕からもらいますね」と言われ、右腕の血管あたりにカイロを巻かれたまま、めちゃめちゃ擦られながら左腕から採血。何か簡易キット的なもので「申告通りB型ですね~」と言われ「えっそれでわかるんです!?」「凝固の仕方でわかるんですよ~まあ簡易ですけど」と言われる。血を垂らすところが2箇所あったのでどっちが凝固した・しないの組み合わせでわかるんでしょうね。へえ~便利。

私はいかんせん貧血気味なので、ヘモグロビン濃度が引っかからないように…と祈りながら、採血後の血液が突っ込まれた機械を睨む。すぐに機械の脇から紙がぴっと出てきて、それを見た看護師さんが「はい十分な濃さですね!じゃあこれから200献血よろしくおねがいします!」とのことでひとまずホッと一息。

「ではこちらのベッドへどうぞ~」と言われ移動。ちなみにここまでずっとカフェオレを持ち続けている。「飲み物はこっち、荷物は下で!」とキビキビ看護師さんに指示されるがまま。ベッドはリクライニングがばっちり調節されてしかも目の前にテレビ。頭の所にスピーカーがあるタイプなのでちょっと看護師さんの指示が聞こえづらい。

足の運動と手を延々握っとれ、TVはリモコンで自由に見ろ、頭を枕にくっつけろ等々指示されつつ、採血開始。「針が太いので怖かったら見ないでください」と言われて笑顔で目を反らす。だって怖いもん。針が刺さった瞬間、たしかに普通の採血よりいてえ~!「しびれや痛みなどなにかありましたら我慢しないですぐ言ってください!我慢しないで!」と念押しされる。その後テープで固定されて放置。10分くらい?朝ドラ再放送を見る。スマホいじろうかと思ったけど左手で動かすのめんどくさくて朝ドラを見て終わった。

針が抜かれたあとも看護師さんに「めまいないですか!?」「しびれないですか!?」「ゆっくり立ち上がりましょう!」「水分とって!」等などいろんなことを言われる。さっきからずっと思ったけど、看護師さんも言わなきゃいけないこといっぱいあって大変ですね…。しかも全員、善意でここに来てる訳だから愛想良くしないといけないしね。大変。

何かしらのバインダーを受付に返して、休憩してから帰るよう言われる。「記念品どうぞ!」と言われて見せられたのが地元のお菓子・歯磨き粉・ウェットテッシュ。単価からみて歯磨き粉一択。その後はほうじ茶、梅昆布茶、コーヒー、ハーゲンダッツをいただきながら諸々のパンフレット等をぼげーっと読む。一応30分位休憩をしてから、退室。特にめまい等はなかったけど、こう…胸のあたりがもやっとする感じはあったが、休んでいたら気にならなくなったので、その後買い物をしてから帰宅した。

その後

献血後に買い物をしている時「フフフ…私は午前中に善行を成し遂げましたがみなさんはいかがかしら?」「は~い通りま~す!さっき200ml献血を行った私が通りま~す!!!!」というある種のスター状態になった。

圧倒的な「善行をした」感。私はこの世の中にいていい・世の中に必要とされている感。無駄な休日を過ごしていない感。

しかも、看護師さんの優しいこと優しいこと。優しくされる機会がそこまでないのでうれぴ~!ありがと~!!!!!

これが精神衛生上めちゃめちゃ良い。最近の学びとして、「paypay等の各種キャンペーンのお得感を感じることで精神衛生がやや保たれる」というのがあるのだけれど、それに続く学びである。

しかも献血ルームは、かなりリラックスできる。まず、献血ルームは老若男女がいる訳だけれど、こんな休日午前にわざわざ献血に来ている時点でこの人達が善人でないはずがない。善人だけの空間。リラックス出来るでしょ。

そして飲み物飲み放題、お菓子食べ放題(アルフォートが食べ放題はヤバイ)、ハーゲンダッツ1個無料。献血終わったら御役御免でさっさと出ていけ、ではなく、きちんと休憩してから帰ってね!という、公式な許可。(?)

最高。もうここでずっとぼけっとしてたい。世界が終わるまで。そう思わざるを得ない。

 

…ということで、献血、めちゃめちゃいいぞ。検査結果も楽しみ。

話がつまらない人

☆話がつまらない人の特徴☆

・こういうことがあって気分が悪かった、という話ばかり続く
→人をゴミ箱だとしか思っていない可能性がある。
 単に友人がおらず、自分の感情を外に出す機会がないため、会ったが最後必然的にストレス解消に使われる。

・どんなことにでもマウントを取ってくる
→近所の池の広さ、仕事の楽しさ、なんでも。話題になったことならなんでも。
 どんなことでも他者より優位に立ちたい。

・起承転結という概念を知らない
→起で終わる。起、別の起、また別の起…

・共感力が皆無
→こういうことがあったんだよね~という話に対して「そうなんだ~」の一言もなく、自分の話を始める。
 自分が興味のあることにか興味が持てない、世界観が狭い。オタクにありがち。オタクが同じ趣味の友人しかできないはこれ。

・自己解決する

Twitterでどうぞ

400字で文章をまとめるということ

18歳が400字で書いたエッセイ的な文章をざーっと読んだところ、あ、やっぱ文字書くってむずいよね、と今更ながら感じたので書いてみるテスト。

そう、文章ってのはとてもむずかしい…物を知らないと書けない…斬新な着眼点がないと面白くない…。でも別に難しい単語を使えばいいってことでもないし、ひねくれてればいいってことでもない。

現に最近、万葉集を読んでいるのだが、現代のTwitterと同じテンションで「ふーんおもしれー」と読むことができる。

万葉集、「マジ梅咲いたわいい香り、お前にも嗅がせたい」とか「柳揺れてお前かと思ったら違ったわ、川の音うるせーけどせつねー」みたいな、とるに足らないけどなんかちょっとした心の機微みたいなものを短文にまとめただけなんだけど、面白い。

あっこういう人もいるのね、いたのね、ていうか今とかわんないな~。いやこれわざわざ短冊に筆で書いて人に渡したのかよ暇かよ。とか思いながら読んでみるとすいすい読んでしまう時間泥棒である。

はいここで400字すでに越えてる。400字で文章まとめるの無理。よくわかりました。

もう無理だ

あ~なんかもう無理だ~ってここ最近毎日思っている。

楽しみといえば性的な目で見ている先輩(既婚)に構ってもらうことと、仮想通貨でお金を溶かすことだ。

それ以外別にどうだっていい。でも本当に動かないと本当に精神が死んじゃいそうでとりあえず筋トレなどする。

 

この前の忘年会は同僚がうるさくてうるさくて、自己中心的な人ってなんでああ、自分が話題の中心にならないと気が済まないのか。まあ、自分の話題にならない限り特に喋らない私も十分自己中心的なのだが。同僚は前職でひどいパワハラを受けて、でも今ではそれを笑い話に変えるものだから、化物みたいで怖いなと思った。

同僚も先輩もみんな、子どもがいる。子どもの為に命を投げ出せと言われたら、すぐに投げ出せると言い切った。

果たしてそれは本当だろうか。子どもも、ましては恋人すら出来たことのない私には全くピンとこない感覚だ。

彼らは口を開けば子どもの話、そして過去の話。

なんだか話をしていて、おじいさんと話しているような感覚に陥る。現在も未来ももうない、自分の世代ではなく、次の世代に命を託したひと。

生き物はDNAを運ぶ船でしかないのだから、生き物としては至極正しく当然の営みだ。あ~この人達はもう生き物としての義務を果たしたんだなあ、いいなあ、そう思う反面、本能ではなく理性で生きていたい私としては、つまんねぇな、と思った。眼の前にいる人間はもう死人も同然だ。卵を生んだら死ぬ生き物だってたくさんいるのだし、そんな感じじゃない?

私はまだ私の世代を、私の命を生きたい。

子どもを残したいという本能に精一杯あらがって、理性で生きていく。

 

でもそんなふうに生きてるから、あ~もう無理だ~って思う。やっぱり生き物ってそういう風に出来ているんだ。DNAを残さなくていいかな、なんて思うと、じゃあ早くすぐ死ねって、DNAに言われるんだ。

モテないけどセクハラはセクハラだったよね

私はモテる方の人間ではない。はっきり言うとモテない側の人間だ。

何故ならば今まで異性に告白されたことがないからだ。紛うことなきモテない側の、モテない人間に他ならないだろう。

だから異性の好意と思われるモノには敏感で、例えば異性が自分に話しかけてきたり、微笑みかけてきたり、そんな些細な行動だけで「こいつ私のこと好きなんじゃね?」となり、時にお花畑モード、時に苦虫を噛み潰したような気持ちに勝手になって、一人遊園地のジェットコースターとお化け屋敷を楽しんでいる。

 

なのでこの前、元上司から「よかったらご飯に行かない?(二人で)」と言われたとき、フフフと隠れて微笑んだものだ。誘い文句は「仕事の労い」だったが、あーやっぱり?私ってやっぱり、モテないフリしてたけど、既婚男性から見ても魅力的に見えちゃう?わかるわかる~OK!というノリだった。何も考えずにその誘いに乗った。

よくわからない高級車(車内で有名人の誰々と一緒なんだと得意げに自慢された)に乗せられ、行き着いた先は国道沿いのフレンチ料理店。注文されていたのは肉と魚のフルコース。金曜夜だというのに、私達以外の客は誰もいない。無愛想な店主が何事かを呟きながら置いた前菜を、いざ食べようとしたその時に元上司は言った。「俺、実は離婚したんだよね」えっ何それウケる~。思ったと同時に、ヤバイなと思った。その後のせっかくのフルコースの味はしなかった。かろうじて覚えているのは前菜のソーセージ的なやつが美味しかった気がすることだけだ。

その後、星を見て夜景を見た。星を見て夜景を見たのだ。なんでやねん。一回目のデートでフルスロットルかよ。デート本読み尽くした童貞でももっとマシなチョイスするんじゃねえの?知らんけど。お土産はコンビニスイーツとワイン2本だった。なんでやねん。重い。物理的に。時計の針がどちらもてっぺんをさす頃に、コンビニに停めた車はなかなか動かなかった。

元上司は言う。「動物もオスとメスの番になるから…人間もそうだよね」言ってることがよくわからない。何が言いたいのかよくわからない。「俺は自分から好きって絶対言わないから。…何か言いたいことがあるなら言っていいよ」早く、帰りたいです…。

ようやく解放されてから、ああどうしようと頭を抱えた。まず、「私のことを本気で好きだったらどうしよう?」。離婚したということはフリーなわけで、再婚したいとか言ってたし、私を再婚相手として見てるのか?

そして「なんで私なんだろう?」これはすぐにわかった。だって職場でフリーで結婚適齢期の異性って私くらいだし。

同時にその人が可哀想だなという気持ちもあった。あったけど、それ以上に、私は今めちゃめちゃ忙しいってわかっているはずなのに(一年で一番忙しい時期)、なんでそんな話したんだよ。今。ていうか労いとか言ってたけど延々と自分の話ばっかするし、完全に自分を慰めてほしい感じだったし、ただ若い子と話したかっただけだろ、で、あわよくばとか思ってんじゃん。キメエな、マジでキメエ、きもすぎる。死んでほしい。狡い。卑劣だ。可哀想。気持ち悪い。嫌悪感。

いやでもさ、それを置いといたら尊敬できる人じゃん。そうだよ、仕事もできる、相談にも乗ってくれるし、優しい、…優しい言葉も、かけてくれる。ああ、あれ私のことそういう目で見てたから?だから優しくしてくれた?え?キモイ、最悪。

 

かくして私はぐるぐると上記の気持ちと、多忙な仕事、そしてたまに届く元上司からのLINEに押しつぶされ、鬱に半分足を突っ込み、職場で上手く息ができず、常に気持ち悪く、唾液は出なくなった。

私はこの状態をモテないが故、異性の好意に敏感すぎた結果の大ダメージと解釈していたが違った。ほぼ同じような被害を受けていた彼氏持ちの後輩も、大ダメージを受けていた。

そもそも彼氏持ちの女に何してやがんだという話だが、それはそれとして、やはり尊敬していた(過去形)上司が、突然「男性」としてアプローチしてくることの気持ち悪さたるや。しかも、自分の年齢を棚に上げて20代に構ってもらおうとする厚かましさ。すごい。やっぱ20代で時止まってんだこういうやつ。(このへんの分析はよく他の人もやってるので省く)マジで無理。マジで無理だよね~!!!

後輩と「マジキモイね」と言い合って、「どうやったら仕事やめてくれるかな」と話し合う日々。尊敬の気持ちはとうに失せ、ただただ「異性」としての気持ち悪さしか残らない。視界に入れたくない。同じ空間にいたくない。廊下ですれ違わないために、ちょっと遠いトイレに行こう。

 

私がもし、激モテ女性だったらこんな気持ちにならなくても良かったのだろうか?「あ~私って魅力的だもんな、また男に言い寄られたか、適当にあしらっとこ」って出来たかな。どうだろう?どう思います?

逆に言えば、まあ、モテなくても、自分へ好意を向けてくる異性への嫌悪感は感じるもんだなという発見でした。